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オンライン法要とは
オンライン法要の概要
オンライン法要について、私が手がけていることから解説します。
まずは、
通常のお寺や霊園、式場においての法要との違いです。
出向く(外出する)ことなく、ご自分のいる場所、子供が小さく家を空けられない方、介護施設や病院に入院中の方、遠方からの移動が困難な方、できれは気軽に供養したい方など、あらゆる事情の方が希望する場所で参加できることです。
ただし、条件があります。
それはパソコン、タブレット、スマートフォンでインターネット接続ができる場所であることです。
となりますと、
そこの場所でご自身かどなたかが、パソコン、タブレット・スマートフォンのインターネット接続ができなければなりません。ご自分ができなくても、できる方がいれば大丈夫ということです。
私のようにメールとネット検索しかできない方でも、メールとネット検索ができれば、法要に使用しているZOOM会議への参加は難しくありません。(事前にテストしていただくことも可能で、今まで2件の方が事前テストをされました)。
オンライン法要のメリット
では、オンライン法要のメリットです。
出向かず自宅でもどこでも法要ができる、参加できるメリットについてです。
- 身体不自由、ご高齢のため外出することが困難な方でも参加できる
- 一ヶ所に親族、縁者が集まることが難しくてもできる。
この点は、僧侶派遣の利用ではかなわないことです。- 実際、沖縄県から北海道までの方がご参加されています。
- ご自宅だけではなく、入所されている高齢者施設での参加もありました。
- 霊園の墓前でもありました。
- 礼服でなくも、自分が都合のいい服装で参加できる
(私は、必ずしも礼服でなくてもよいとしています。一番大事なのは拝む心=仏様として敬い感謝する心としています。) - 出向く必要がないので、交通費、時間が不要。
- コロナ、インフルエンザなどの感染の心配がない。
いつでも実施できるメリット
そして、私の場合はいつでもというのをメリットとしています。
通常のお寺、霊園、式場での法要ですと、午前9時から午後4時くらいからまでだと思います。
私の場合は、早朝でも夜遅くでも承ることとしています。
- 今までのところでは午前8時からが一番早く、午後9時からが一番遅く承りました。
また、365日OKとしています。
要は、私の身が空いている限り対応することで、一人でも多くの方に仏事サポートができればと思っています。
オンライン法要のデメリット
では、オンライン法要のデメリットはなんでしょうか。
私は、インターネット接続ができないとダメということしか浮かびません。
スマホ、タブレット、パソコンのいずれかが必要ですが、ほとんどの方がスマホはお持ちだと思います。
また、高齢者である私のように機械操作が苦手な方は戸惑ってしまう方もいるかと思います。ですが、どなたかにネット接続の仕方を教えてもらう、あるいはネット接続してもらえば、このデメリットは解消できます。
トラブル事例
では、実際にあったトラブルを紹介します。
・5年前に私はオンライン法要を始めたのですが、当初の1年目に1件、私の方の声、音が相手に聞こえなかったことがありました。相手側のスピーカー、音量等を確認してもらいましたがダメでした。結局、私の方からの携帯電話で声、音を伝えてしました。
・それから、つい最近ですが、相手の方の声、音が私の方に聞こえないということがありました。相手側のマイク音量を確認依頼しましたがダメで、私の方の声、音が聞こえるのでよしとしてくださいました。この方は2度目で、前回は大丈夫だったのですが、今回の原因は私にはわからずじまいです。
あと、私の方から事前に送った法要参加のためのZOOM会議招待メールが当日になって届いていないと言われたケースが1件ありました。私の方は、依頼を受けた日の一両日中に送る旨を伝え、送信するかたちをとっています。正直、当日に言われた時は、大あわてで再送信しました。
私が経験したトラブルは以上です。
※デメリットではないですが、自分の所が映るのがイヤという方もいらっしゃいます。その場合は相手側の方で最初から画面がシャットアウトされます。ですから、この点についてはお互いに問題なしです。
オンライン法要の意味
さて、一番皆さんにおいて、気になるのはオンラインによる法要でも意味があるのかではないでしょうか。
その前に、法要と法事についてです。
法要は、僧侶によるお勤め(読経と法話)です。
法事は、その後の皆さんでの飲食等を含めたことです。
ですから、私が担うことができるのは法要ですから、オンライン法要です。
では、オンラインによる法要で意味があるのかです。
私がお取り次ぎさせていただく仏様は、阿弥陀如来(阿弥陀仏)様です。
修業することも出家することもできない(今は僧侶も出家しません)凡夫である私たちを、凡夫のままで無条件に平等に分け隔てなく救ってくださる衆生救済の仏様です。
条件をつけると救えない人が出るということで無条件とされたのです。
この阿弥陀如来は、別名、「尽十方無碍光如来(じんじつぽうむげこうにょうらい)」とも称され、この世の全てのもの、事象にさまたげられることはないのです。たとえ、暗闇であろうと、そして私たちの心もどこにいてもお見通しなのです。
ですから、法要としてオンライン法要は問題なく意味があります。
大事なのは、どこにいても拝む「心」がどうかなのです。その心がどこにいようとも仏様に見透かされるのです。だからこそ、心が肝心なのです。
もちろん、お勤めする僧侶である私の心が一番大事です。お取次ぎする私の心が
阿弥陀如来様に受け入れていただけなければ、法要の意味はありません。
依頼・僧侶選びのポイント
オンライン法要をどこに依頼するか検討するに当たって、皆さんはどのようにして選ばれるのでしょうか。
オンライン法要を行なっている所は、私以外にあるかと思います。
料金でしょうか。安いほうが有り難いのは当然かと思います。
私の場合は、2万2千円でやっています(複数先、何先でもOK)。
当初から、できるだけ安くして1人でも多くの方の仏事サポートをしたいという考えから、普段自堂においての法要は3万5千円で承っていましたので、それより安くしたいと考えて決めた額です。
実際、5年間やってきて、ワンオペというのでしょうか、1人でカメラ、PC、照明、法衣着衣等を1時間前から準備、後片付けをしています。ネット環境、カメラ設置状況から、自堂と別に、阿弥陀仏様の荘厳壇を造りましたので初期投資もかかりました。それと、オンライン予約の日時に、他の法要、葬儀出仕依頼があってもお断わりしなければなりません。それらの点から私としては妥当と考えています。
選ばれる場合に、出費予算がおありでしょうが、先述のように大事なのはお勤めをする僧侶だと思っています。
しかし、実際に私のように1人でやっているのと違って、何人もの僧侶と提携しておこなっているところの僧侶確認・選びは、皆さんにとっては難しいのではないでしょうか。
もちろん私の場合も、僧侶としての私を見極めるのは難しいかと思います。
私は依頼する・しないは別にして、ご希望の方には実際にオンラインで面談、あるいは電話でお話させていただいて、判断してもらうようにしています。
仏教のこと、お寺のこと、仏事のことなど、わからなくても普通に話し合いすれば、ある程度は私がどんな感じの人間か、信頼できるかどうかわかってもらえると思っています。
ともかく、大事なのは、お勤め(仏様へのお取り次ぎ)をする僧侶の心です。オンライン法要を検討するに当たり、私を含め可能な限り僧侶確認・選びをしてください。
オンライン法要の狙い
オンライン法要の私の狙いです。
私がオンライン法要でお役に立ちたいとしているのは、お寺、僧侶との関わりがない方、檀信徒、門徒になっていない方々です。
そうした方々に、余分な負担、面倒がなく、仏教の有り難みを感じてほしいのです。
どうしても檀信徒、門徒になっている寺、すなわち菩薩寺、檀家寺がないと、仏様にご縁する機会がないのです。
しかし、檀信徒、門徒になるのが金銭、面倒で負担となっている方が少なくないのです。
そうした方は決して故人の供養を考えていないわけではないのです。
こうした方々に、余計な負担、面倒をかけることなく、仏事ができるようにサポートして、供養、仏縁をしていただければと思っています。
あくまでも受け身で、必要なときに必要される、つまりお抱え僧侶となれればと思っています。
オンライン法要で仏縁していただくことで、仏様の教えを知っていただき、教えの有りがたさ、仏様の救いの有りがたさを身近に感じてもらえていると思っています。
無料相談とバーチャル寺院
また、どなたでも気軽にいつでも仏事で困ったこと、不明なこと等を相談できるように無料仏事相談を行っています。
さらに、バーチャル寺院を開設しました。
お手元で手を合わせたいけど、仏壇も位牌もないから拝めないと言う方などのために、いつでも自由に拝めるように、ネット上に心通寺というバーチャル寺院を365日24時間いつでも参拝できるようにしました。
こうしたことで、愚僧ながらお寺、僧侶と関りがない方へ僧侶としてのサポートが果たせているのではと自負しています。
僧侶としての役割を果たせないのでは、単なる金稼ぎに過ぎなく、法衣を着る資格はないと思っています。
承る法要の種類
では、オンライン法要でどのような法要を承っているかです。
初七日、四十九日、一周忌、三回忌、七回忌、十七回忌、二十三回忌、入仏(魂入れ)、遷都(魂抜き)、納骨法要、葬儀等いろいろと言いましょうか、ご希望の全てです。
直葬へのサポート
実は私が一番オンライン法要でサポートしたいと注視しているのが、直葬の方です。
お釈迦様が開かれた仏教の最大・最終目的は、「往生成仏」です。
私どもは前世に人間として生まれ、死ぬ、そして現世に人間として生まれ、また死ぬと生死を繰り返してきています。
お釋迦様が出家、修業されて悟りたくさんの仏様の世界を観察したことで、仏土=浄土は苦が一切なく、区別、差別、分別がない平等一味、死もない永遠不滅の世界であることを発見、仏様に救われ浄土に生まれ往き仏になれば、生死の繰り返しから解脱できるとして、そのたくさんの仏様の教えを説いてくださったのです。
言い方を変えれば、往生成仏しないと、死後、再び迷いの世界である人界(にんかい)に生まれ、再び死を迎えるという、すなわち、生死を繰り返すことになるのです。
直葬ですと、葬儀なしですから、僧侶による往生成仏のお取り次ぎなしということです。つまり、大切な故人が往生成仏されないということです。
※直葬された方は、大切な人を亡くして、きちっと供養したいという思いがある方が少なくないのです。しかし、往生成仏されないということをわかっていない方が多いのです。
つまりは、故人が往生成仏を果たせないで生死の繰り返す世界に生まれ変ってしまうのです。
そこで私は、直葬で四十九日までの依頼には、この往生成仏の話をして往生成仏のお取り次ぎをするようにしています。
大切な方を葬儀費等の負担など事情あってやむを得ず直葬された方は、ぜひご相談ください。親身にできる限りのサポートをします。
火葬後の骨葬儀のかたちになります。四十九日までですと、生まれ変わり先へまだ往っていませんから、阿弥陀如来様に救い摂っていただく往生成仏のお取り次ぎをするようにしています。
このように、たかがオンライン法要と思われるでしょうが、檀信徒、門徒になっていない方、つまり僧侶、お寺と関わりのない方にとっては、仏様の救いを賜る、仏様のお教えを賜る、つまり有り難く仏縁できるのです。それも、金銭負担、面倒を最小限にして、自分の都合で行うことができるのです。
仏となられた故人が縁となって、たくさんの仏様の教えを私たち凡夫に説いてくださった教仏であるお釋迦様、そして私がご本尊としている、衆生救済の仏様、救仏である阿弥陀如来様と出遇えることは、なかなかできないことで、とても有り難いことなのです。
この二尊仏に出遇え、慈悲を賜ることは、仏教の醍醐味だと私は思っています。
お布施、法要葬儀費等の負担が多く、有り難い仏縁ができない人が多い現状において、オンライン法要は私の思いである仏事サポートの役割が果たせていると思っています。
私としては、このことがオンライン法要の最大のメリットだと思っています。
ただし、繰り返しますが、肝心なことは、お勤めをする私が真に僧侶として心してお勤めをするかどうかです。
このことで、承った法要が意味なしになるか、役割を果たせたかのどちらかになってしまいます。
私は正直な話、オンライン法要だけではなく、自堂で、あるいは出向いてのお勤めを終えて帰宅した時は、精神的にくたくたになります。肝臓のためにおさえている大好きなお酒もついつい飲んでしまいます。
要はそれぐらい仏様に仕えることは、責任重大なのです。
2万円のお布施であろうと、20万円のお布施のお勤めであろうと、同じようにお勤めしなければならないのです。
その点からも、オンライン法要なら行なえるという方に対しては、お役に立てると確信しています。
阿弥陀如来様について
では、オンライン法要で私がお取り次ぎをしている阿弥陀如来様についてです。
阿弥陀如来(阿弥陀仏)様は、たくさんの仏様の中で、無上仏(この上がない仏)と言われ、最高の仏様とされています。
修行も出家もできない(今は僧侶も出家しない)私たち凡夫を凡夫のままで、老若男女、善悪、貧富、地位、能力など関係なく、あらゆる人を無条件に平等に、生き様・死に様を問わず、阿弥陀仏様の大慈悲心(本願力、誓願=すべての人を自分が修行して仏になれたことで得た功徳によって救うというお心)によって、極楽浄土に救い摂って「往生成仏」させてくださる衆生救済(万人救済)の仏様です。
修業、出家ができない凡夫である私たちを救うために、願いと誓いをたてて修業され、仏となられたのです。
ですから、阿弥陀如来様に対する信心は、阿弥陀如来様を信じるというのではなく、必ず救い摂るという阿弥陀如来様の願心、大慈悲心を賜ることが信心なのです。